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「信頼だけでは済まされない」──ある老舗自動車整備工場の事業承継で起きた現実

はじめに

経営者として会社を育て、地域に貢献しながら事業を継続する――。それは並大抵の努力では成し得ないことです。しかし、どんなに素晴らしい経営者でも、いつかは「次の経営者」にバトンを渡す時がやってきます。そしてその瞬間には、思いもよらぬ落とし穴が潜んでいることがあります。

今回ご紹介するのは、業歴50年を超えるある老舗の自動車整備会社が第三者に事業承継を行った際に起きた、実際のトラブル事例です。この事例を通じてお伝えしたいのは、「事業承継は信頼だけで進めてはいけない」という当たり前だけれど見落とされがちな現実です。

【1】事業承継を決断した背景

A社は地域密着で長年営業を続けてきた自動車整備工場。現社長は先代の娘婿で、会社の3代目として経営を担ってきました。しかし70歳を過ぎた頃から体力的な限界と、社内に後継者がいないという現実に直面し、ついに第三者への承継を決意します。

相談を持ちかけたのは、取引金融機関であるB信用組合。そこで紹介されたのが、同じくB信用組合のメイン顧客であるC社──中古車販売を主力とする創業5年ほどの若い会社でした。C社は整備機能を外注に頼っており、その質にバラつきがあることが悩み。整備機能の内製化を目指していたことから、A社を譲り受けることに高いシナジーを感じていました。

さらに、A社社長から見ればC社社長は“息子のような存在”。年齢差を超えて波長が合い、話はとんとん拍子に進んでいきました。

【2】専門家不在で進めたM&A

譲渡価格は、純資産に加えて過去3年分の当期利益を加算するという、インターネットで見た簡易的な算定式を用いて約3,000万円に決定。両社とも「信頼関係がある」「小規模だから専門家はいらない」という認識で、M&A専門家の関与は見送りに。

契約書はネット上のひな型をベースに、最低限の調整をして自作。取引金融機関は個別の取引への関与を避け、完全に当事者間のみで株式譲渡契約からクロージングまでを完結させる形となりました。

【3】クロージング当日に明るみに出た“現実”

ところが、契約締結から実際のクロージングの日、C社の経理担当がA社の経理現場に初めて足を踏み入れたとき、事態は一変します。

決算書上は現金残高400万円とされていたにも関わらず、実際の現金はほとんど存在していなかったのです。さらに、現金出納帳もなく、帳簿の整合性を確認する手段がありませんでした。

A社の社長に確認したところ、「会計処理はすべて顧問税理士に任せている」「現金が帳簿上いくらあるかなど見たこともない」との回答。しかも、調べていくうちに銀行口座の残高にも数十万円のズレがあることが判明。信じていた数字が次々と崩れていきました。

【4】税理士も“実質不在”だった

C社が改めて顧問税理士に確認すると、A社の経理を実際に担当していたのは税理士資格のない補助スタッフ。申告はしていたものの、税理士本人はA社の中身に一切関与しておらず、以下のような驚きの実情が明らかになります。

  • 資料の提出が遅く、いつも申告ギリギリ

  • 会社と家計の出入りが混在しており、帳簿上は現金勘定と役員借入金で辻褄合わせ

  • 税務調査に備えた「形式的な申告」を行っていただけで、実質的な会計監査はしていない

つまり、帳簿の数字に信頼性はなく、買い手のC社は大きな“想定外”を抱えることになったのです。

【5】取引の信頼が揺らぎ、関係性も悪化

C社は、現預金の不足分400万円に加え、資産性が乏しい棚卸資産200万円の合計600万円の返金をA社に要求。しかし、A社の社長は「自分たちは真面目に誠実にやってきた」「粉飾などしていない」と強く反発。「50年築いてきた信用に泥を塗られた」とまで語り、事業承継後の引継ぎ業務にも影響が出始めました。

信頼から始まった取引が、まさかの不信で関係悪化に至ったのです。

【6】最終的な落としどころ

当職が金融機関の依頼で仲介として介入。第三者として事実関係を整理し、感情的なしこりを避けながら交渉を行いました。

結果として、600万円はA社社長から「貸付金」として返金。ただし返済義務は「A社が一定以上の利益を生んだ場合にのみ発生する」という条件を付けることで、双方が納得する着地点を見出すことができました。つまり事業が想定を超える実績を上げて初めて返済義務が発生するというたてつけにしました。

【7】この事例が教えてくれること

この一件は、「小さなM&Aだから大丈夫」「お互い信頼しているから問題ない」という“油断”が引き起こした典型例です。

とくに中小企業の事業承継では、以下の点が極めて重要です。

  • M&A専門家の関与:たとえ費用がかかっても、トラブルによる損失や信頼の毀損に比べれば小さい出費です。

  • デューデリジェンス(DD)の実施:資料が不十分でも、現地確認やヒアリングを重ねる「実務的なDD」が極めて有効です。

  • 契約書の整備と表明保証の理解:後から「知らなかった」では済まされません。表明保証に違反すれば売り手は損害賠償の対象となります。逆に買手は表明保証があるから安心とはいきません。中小企業の事業承継には承継後も売手の協力は不可欠。法廷で戦う相手ではありません。

  • 感情的な配慮:M&Aは「数字」だけではなく、「人」の引継ぎ。だからこそ、両者の関係性を悪化させないように進める知恵と配慮が必要です。

おわりに

今回の事例は、まさに“他人事ではない”出来事です。中小企業の経営者であれば誰もが直面する「出口戦略」としての事業承継。誤解を恐れずに言えば、専門家に相談せずに進めることは、自分の人生と会社の歴史を無防備なまま人に手渡すことに他なりません。

事業承継は、「人生最後の経営判断」です。だからこそ、一刻も早く、信頼できる専門家に相談することを強くお勧めします。

 
 
 

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