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承継したら「社員が辞めた」を防ぐには―― 承継後3年の「組織の守り方」実務ガイド ――

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事業承継の現場では、社長交代そのものよりも、その後数年間に起きる「組織の揺れ」が問題になります。承継からしばらくして、古くから会社を支えてきた幹部や中堅が静かに辞めていく。数字だけを見ると順調に見えるのに、現場の雰囲気が目に見えて重たくなる。このような現象は決して珍しいものではありません。

本稿は、先代・後継者・支援専門家が、具体的にどのような行動を取ればよいのかという視点から、承継後3年間の「組織の守り方」を実務ガイドとして整理したものです。


1. 承継直後、現場で何が起きているのか

承継の手続きが終わると、多くの場合、先代と後継者には「一息ついた」感覚が生まれます。しかし現場の社員にとっては、その瞬間から日常が変わり始めます。

これまで判断を仰いできた「顔」が変わり、気心の知れた創業者の背中が少しずつ遠のいていく。会議での一言、目線の向け方、沈黙の時間の取り方といった細部に、社員は敏感に変化を感じ取っています。

とくに危ういのは、「大きなトラブルは起きていない」と受け止めている局面です。目に見える反発はないが、重要な幹部が会議で発言しなくなる。若手が上司の前で無難な意見しか言わなくなる。こうした小さな変化の積み重ねが、数年後の離職や業績悪化として表面化します。

この時期に必要なのは、「問題が起きていないか」ではなく、「何が変わり、誰が戸惑っているか」を丁寧に観察する視点です。


2. 組織文化を見える化する実務ステップ

承継後の組織を安定させるうえで、最初の土台になるのが「組織文化の見える化」です。抽象的な理念ではなく、日々の判断や行動の積み重ねとしての文化を具体的に確認していきます。

第一に取り組みやすいのは、会社の歴史を年表として可視化する作業です。創業のきっかけ、事業を大きく転換した時期、苦境を乗り越えた局面、大きな投資や撤退の判断などを、年代順に整理していきます。この作業は単なる事実の列挙ではありません。各転機において、先代が何を重視し、どのようなリスクを許容したのかを、本人や古参社員へのインタビューを通じて掘り下げていくことが重要です。

次に、先代の「判断軸」を言葉にしていきます。日頃の口癖や会議でのコメント、判断のパターンを振り返ると、その経営者ならではの価値基準が浮かび上がります。例えば、「現場を見てから決める」「数字で説明できない投資はしない」「お客さまとの約束は利益よりも優先する」といった形で整理していきます。後継者は、これらの判断軸の中から「引き継ぐべきもの」と「自らの時代に合わせて変えるべきもの」を区別し、自分の言葉で再提示することになります。

さらに、「この会社らしさ」が最もよく表れているエピソードを集めることも有効です。クレーム対応で社員がどのように動いたか、赤字を覚悟で受けた案件が将来的にどのような意味を持ったのか、若手の提案をどのように扱ってきたのか。具体的な事例を共有することで、社員は「何が評価される行動なのか」をイメージしやすくなります。

こうした歴史・判断軸・エピソードの整理は、短期間で完結させるべきプロジェクトではなく、承継後3年間を通じて継続的に磨いていく作業です。重要なのは、先代と後継者だけで完結させず、幹部や現場リーダーを巻き込んでいくことです。


3. 承継後3年間をどうデザインするか

承継後の3年間を、単なる「様子を見る期間」として過ごすのか、意図的に「組織を再設計する期間」として位置づけるのかで、その後の10年が大きく変わります。

1年目は、信頼関係の再構築に最も力を割く時期です。後継者は、いきなり大きな改革に手を付けるのではなく、既存幹部との対話の回数と質を高めることに集中します。定期的な個別面談を通じて、それぞれが会社の現状や将来をどう見ているのかを聞き出し、そのうえで自分の考えを率直に共有していきます。制度や評価を大きく変える必要がある場合も、その理由と方向性を、時間をかけて説明する姿勢が求められます。

2年目は、制度と文化の整合性を取る時期です。これまでの評価制度や昇格の運用が、会社の価値観とどの程度噛み合っているのかを点検します。「なぜあの人が昇格したのかが分からない」「評価の根拠が見えない」といった声が放置されていると、それだけで組織の信頼は揺らぎます。すべてを数値化する必要はありませんが、少なくとも「どのような行動や成果を評価したのか」を本人に説明できる状態にすることが、実務上の最低ラインと言えます。

3年目は、後継者の色を出す時期です。この段階までに、信頼と公平感の土台がある程度形成されていれば、後継者が自らの時代らしいテーマを掲げて、組織を新たなステージへ導く準備が整います。新規事業や業務改善プロジェクトを打ち出す際には、それが先代から受け継いだ価値観とどのようにつながっているのかを丁寧に語ることが、組織の納得感を高めます。


4. 現場でよく見られるつまずきと、その回避策

実務の現場では、いくつかの典型的なつまずきポイントがあります。

ひとつは、承継直後に「改革を急ぎすぎる」ケースです。後継者としての責任感から、自分なりの色を早く出そうとするあまり、評価制度の変更や組織改編を短期間で進めてしまう。意図は健全であっても、信頼関係が固まる前に「変える」ことばかりが先行すると、社員には「これまでのやり方が否定された」という印象だけが残りやすくなります。

逆に、「何も変えない」ことが問題になるケースもあります。先代に遠慮するあまり、後継者が自分の意見を表明しない状態が続くと、社員は「結局、誰の方針で動けばよいのか」が分からなくなります。表面的には穏やかでも、会社の未来像が見えない状態が続くこと自体が、優秀な人材の離職要因となります。

どちらの極端も避けるためには、「何をいつまで変えないのか」と「どこから順に変えていくのか」を、後継者自身が言葉にして伝えることが実務上のポイントになります。そのうえで、変化の影響を最も受ける幹部層と、事前に十分な対話を重ねておくことが重要です。


5. 先代ファーストの視点から見た支援のあり方

当研究会が「先代ファースト」という言葉を掲げるのは、承継プロセス全体を、譲る側の視点から丁寧に設計する必要があると考えているからです。

先代が、どのような思いで会社を立ち上げ、支えてきたのか。何を守ってほしくて、何は自由に変えてよいと考えているのか。これらを整理し、後継者や社員と共有することが、結果として組織の安定につながります。

支援専門家に求められるのは、先代と後継者の間に立って、一方の側だけの論理で物事を進めないことです。法務・税務の合理性だけを優先すればよいわけではなく、感情や歴史を無視した制度設計も、いずれ組織の反発を招きます。逆に、感情だけで制度の整備を先送りにしても、将来的なトラブルの火種が残ります。

承継後3年間をどう過ごすかは、企業の次の10年を左右する経営課題です。本稿が、現場で日々悩みながら判断を重ねている経営者・後継者・支援者にとって、具体的な行動を組み立てるうえでの一つの視点となれば幸いです。

 
 
 

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